③俺と歌姫と調教の時間
③俺と歌姫と調教の時間 『んっ・・・ますたぁ。そんなんじゃ駄目ですうぅう・・・あうっ・・・出てないよ・・・というか音域って分かります? わたし気分悪くなってきました。音感センサーが侵食されているようです。』 『うるせぇ 我慢しろ!!! 俺を信じろ!! カラオケじゃ60点取ったこともあるんだ。』と、俺はマイクを改めて握り締めた。握りすぎて右手首が腱鞘炎だ。 PCからダウンロードした選曲を、AVアナライザーに繋げている。目の前には液晶の大パネルが設置されていて、比較的音域の狭いオリジナル曲をバックに、イメージビデオが流されている。勿論俺の嗜好に合わせた曲だ。いきなりハードなのはどうかと思い、バラード調にした。テンポはリズミカルだが、変調が少ない比較的オーソドックスなものにした。だから、噛むようなことはない……はず。 『ああッ・・・! ますたあ!!!』ミクが叫んでいる。そうかよ、叫びたくもなるかよぉ。 『出るッ! 出るからッ!!! よく聴いといてくれよな。』 俺はミクの絶叫を制止した。ここんとこ暫く、マイクで歌うどころか、ろくすっぽ配信されているはずの神曲を聴いていない。ヘッドホンはその辺に転がっているはずだが。 『お前にもこの位の音域は出る!!! であるならばだ、俺にできないわけねーじゃないか。二次元に負けて堪るか。肺活量ってものが違うんだ。』 俺とミクの初めてのレッスン。 全く音感のない(いや、少しぐらいはあるだろう。あることにしておいてくれ。)俺とのレッスン。生身の人間だったら、ここまで付き合ってくれただろうか。そういう不安が俺の脳裏を過ぎる。 『ますたぁ、不況和音おーん♪』まぁ、ちょっとしたノイズと思えば。 『ますたぁ、半音のあげ方おかしいよぉ♪』俺の半音階に曲のほうが追いついていないだけだ。 『ますたぁ、もしや音感ゼロぉ?』………ストレート・フラッシュ!!! 立て続けにミクから指摘を受けた。いくらボーカロイドだからといって、そこまでいうか。 『うるせえ!!!!』思わず怒鳴ってしまった。ミクが呆然としてこちらを眺めている。 ・・・何キレてんだ俺・・・。 ホントのことだろうがよ・・・。 やっぱ俺には無理なんだッ・・・。 こいつと一緒に音楽を作るなんて無理に決まってる・・・。 『お・・・怒ってる・・・?』涙を浮かべた瞳で俺を見る。視線を合わせる。 おおお・・・ちょっと可愛いかも・・・って何言ってんだ俺! あれは涙なんかじゃない、定期的に作動する瞼のコーティング機能だ。イラストレーターの下請けが、一日に何枚も何枚も描かされるという専らの噂、いや真実だね、きっと。 そうさ、こいつは2次元のキャラクターなんだぞ!! 『怒って・・・ねェよ。悪かった。気分を戻してくれたら、続けようぜ。』 結局、カバー曲のサビを作るのに 5時間もかかった。馬鹿みたいだ、こんなの、一体誰に聴かせられるって言うんだ。 しかも、音域を極端に狭めたため、ただ歌詞を読んでるだけのような、俺とミクの初めての『歌』。歌かなあ、これ。むしろ詩の朗読に近いんじゃないの。 『悪ィな。ミクの云うとおりだ。俺に音感が無いから・・・。疲れただろ? もうリセットしろ・・・。』 ボーカロイドとしてのプライドを傷つけるような、つまらない退屈な時間だったんだろうな・・・そう思っていた俺にミクは言った。 『うぅん! ミクはますたぁと一緒に歌を歌えて楽しかった!!! きっとますたぁも歌が大好きになれる日がくる! それまで・・・ボクが傍にいても・・・いいかな?』 結果的には、俺がサビを歌ったわけじゃねェけど・・・でもな・・・俺、別に歌が嫌いなわけじゃないし。本当に一緒に歌えるときがくるかもしれない。 『・・・あぁ、そうだね。だから、今日はもう寝ろ。まだ、ここはお前にすれば異空間なんだから、俺と同じように時計は動かないと思うよ。』 俺はお前のおかげで、少し『歌』の本当の良さが分かった気がするよ。 『ますたぁ・・・だい・・・す・・・』 と、そう言ったが最後、CDに吸い寄せられるように一瞬にして姿をかき消してしまった。 おやすみ。俺の歌姫。 ―次の日のレッスン 『まっすたぁ!!! 本当に音感無いんですね♪ 人間て練習すれば、進歩する動物じゃなかったんですか?』 ・・・やっぱり俺・・・歌なんか大嫌いだああッッ!!!